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プロフィール

飯田 満
生年月日 昭和46年5月9日 川崎市生まれ
学 歴 昭和59年 横浜市立大門小学校 卒業
昭和62年 横浜市立瀬谷中学校 卒業
平成2年  東海大学山形高等学校 卒業
職 歴 平成2年 プリンスホテル 入社
平成6年 衆議院議員中田宏 秘書
平成14年 横浜市長中田宏  秘書
平成15年 川崎市議会議員 当選
平成19年 川崎市議会議員 当選
平成23年 神奈川県議会議員 当選
家 族 妻、長女、次女、長男の5人家族。宮前区菅生在住
飯田 満 人生の足跡
[生年月日]
  • 昭和46年5月9日 川崎市生まれOpen or Close

    5月9日、父信義、母信子の次男として誕生。体が弱く、医師から「空気の良いところへ」との助言で2歳の時に横浜市瀬谷区へ転居。さがみ幼稚園に入園し、徐々にわんぱくぶりを発揮し始める。野球好きの父の影響で、物ごころ付いた時にはグラブとボールで遊んでいた。

[学 歴]
  • 昭和53年 横浜市立大門小学校入学Open or Close

    小学1年生から少年野球チーム「本郷ムサシ」に入部。初めての試合出場は3年生、初打席はセーフティーバント、でもアウト!6年生でキャプテンを務めるが、「泣き虫キャプテン」だった(らしい)。将来の夢は、原辰徳選手に憧れ「東海大相模高校で甲子園出場」。学校の成績は、体育以外は・・・。

  • 昭和59年 横浜市立瀬谷中学校入学Open or Close

    入学直後、授業中、教科書への落書きが見つかり、廊下で正座をさせられるなど叱責経験は数知れず。野球に明け暮れ、学業に心非ずの毎日。中2の夏、東海大山形高校がPL学園に7対29で負ける試合を観て、「打倒PL」に燃え、東海大山形高校へ進学を決意する。

  • 昭和62年 東海大学山形高等学校入学Open or Close

    野球部合宿所に入寮し上下関係厳しい中での集団生活がスタート!野球環境の整った施設の中、朝から晩まで野球漬けの日々。しかし、文武両道の教えもあり、卒業時は上位の成績。遅ればせながら「やればできる」ことに気付く!在学中は、仲間と共に夢の甲子園出場を果たす。

[職 歴]
  • 平成2年 株式会社プリンスホテル入社Open or Close

    テレビドラマの影響がありプリンスホテルへ入社。赤坂プリンスホテルへの配属が決まり、ベルボーイ、ドアマンを経験。お客様の顔と名前を覚えるのが仕事でもあり、国会議員の顔と名前は一致した。当時、政治家の汚職が発生し「政治を内部から見たい」と思いで中田宏代議士事務所で1年間のボランティア活動をおこなう。
    ちなみに、妻も同ホテルに勤務していたことから知り合う。

  • 平成6年 衆議院議員中田宏秘書Open or Close

    「一緒に国を変える活動をしないか」と誘いをいただき、秘書となる。スケジュール管理、車の運転手、地元支援者回り、会議準備等々、全てを一人で熟さねばならない時期があり、今となっては貴重な経験。「相手の言動の2手3手先を読み、常に先回りの行動」という代議士の教えが、今の活動の基本となっている。2000年、結婚という大きな転機を迎え、平成12年に長女が誕生。

  • 平成14年 横浜市長中田宏秘書Open or Close

    中田宏氏の横浜市長就任から2か月後のある日、新たな道を選択する分岐点が到来。川崎市の緊急課題でもある財政再建と様々な地域課題の解決、スポーツ振興を図ることを使命として、地元宮前区を選挙区とする川崎市議会議員選挙の立候補を決意する。

  • 平成15年 川崎市議会議員 初当選Open or Close

    初陣の川崎市議会議員選挙で10,141票の1位当選。宮前区政誕生以来、初の1万票を超える得票。議会活動では主に、財政問題、地域医療問題、スポーツ環境整備に重点を置いて活動。その成果の一つとして、地元少年野球場の整備がある。そして、この年(平成15年)に次女が誕生。

  • 平成19年 川崎市議会議員 2期目当選Open or Close

    2期目が難しいと言われる選挙、10,462票で2期連続の1位当選。2期連続1万票越えの記録は破られていない。市議会で「予算審査特別委員会」「決算審査特別委員会」両委員長を歴任し、政策提案を基軸した議会発言では、「休日急患診療所条例」の一部改正を実現させた実績を持つ。そして、平成22年に待望の長男が誕生。

  • 平成23年 神奈川県議会議員 初当選Open or Close

    「我が国のあるべき姿」「将来の地方自治の姿」を突き詰めて考えた時に、廃藩置県を成し得てできた都道府県制度、そして、未来のカタチは『道州制』、廃県置州をおこなうこと。「大阪都構想」は道州制の第一歩であり現実に動き出した。「絶対に実現させたい!」との強い志を抱き、激震を受ける現場"県議会"に自らの身を投げ入れました。果てなき挑戦が始まったばかり。まだまだ序章です。